書評1999年1-6月分

1999年1月分

岡崎晴輝 国際基督教大学大学院行政学研究科博士後期課程 政治理論 g979024@yamata.icu.ac.jp

・Axel Honneth, THE FRAGMENTED WORLD OF THE SOCIAL, ed. Charles W. Wright (Albany: State University of New York Press, 1995).

現代批判理論の旗手、ホネットの論文集。全16論文。同名のドイツ語版もあるが、英語版は、ドイツ語版にない諸論文も収めている。三部構成。第一部は、フランクフルト学派に関する諸論文。第二部は、フランスの現代思想に関する諸論文。第三部は、ホネット自身の道徳=社会哲学に関する諸論文。どれも刺激的であるが、特におすすめなのが「批判理論」という論文(pp. 61-91)。特に日本では、ホルクハイマーとアドルノという「インナーサークル」中心のフランクフルト学派像が支配的であるが、ホネットはそうした像にまっこうから挑戦する。ホネットによれば、初期批判理論のプログラムを実現したのは、むしろ、ノイマン、キルヒハイマー、ベンヤミン、フロムといった「アウターサークル」であるというのである。専門家以外の人々にもぜひ読んでいただきたい名論文。

 

・ 内田正之・庫山恒輔『市民のための情報公開条例──つくり方・使い方』(自治体研究社、1998年)

 本書は、仙台市民オンブズマンのメンバーによる、情報公開条例の作り方・使い方の解説書。宮城県の食糧費支出を追求した時の資料などを使い、情報公開条例の制定・改正の論点を、非常に説得的に論じている。第一に、「知る権利」を明記すること。第二に、情報公開の対象機関に議会、公安委員会、外郭団体を加えること。第三に、請求権者を「住民」から「何人も」へと変えること。第四に、公開対象情報に電子情報や、決裁・供覧が済んでいない文書も加えること。第五に、情報公開の適用除外の規定を「個人識別型」から「プライバシー型」へと変えること。第六に、閲覧手数料を無料とし、コピー代も実費にとどめること。第七に、説明責任が果たせるような文書管理基準(を定めるとの規定)を設けること。第八に、情報公開条例の施行前の文書も含めること。第九に、不服申立てについて審査する情報公開審査会を設けること。第十に、個人情報保護条例がない自治体では、自己情報の開示の規定を加えること。こうした諸点を踏まえ、本書の最後に「市町村情報公開条例案」を提示している。情報公開条例を使うなかで発生した諸問題のなかから論点を提示しているため、と・・にかく説得的。薄い本でもあり、多くの人々に読んでほしい。

 

北海道大学大学院法学研究科博士課程

田中拓道(フランス政治思想史、takujit@juris.hokudai.ac.jp

・Laurent Mucchielli, La decouverte du social: naissance de la sociologie en france(『社会的なるものの発見─フランスにおける社会学の誕生』), Editions la decouverte: Paris, 1998, partie 1er: pp.1-249.

 近年「人文科学史」をはじめ「科学史」の領域が急速な発展を遂げている。これは著者の言うように、従来の諸科学のディシプリンの細分化によって見失われてきたものを、その成立過程を辿ることで反省化しようとする動きの一つと考えられよう。

 著者のミュッシェリは社会学史を専門とする歴史家で、これまでデュルケムの方法論に関する著名な編書などもある。この本では、19世紀後半から20世紀初頭におけるフランス人文科学史を豊富な資料を用いて解明し、「社会学」誕生によって人文科学全般のディスコースに「パラダイム転換」が起こったことを跡づけようとしている。

 著者によると、19世紀前半の人文科学のディスコースを支配していたのは、進化論的生物学を基礎とした人種学・優生学等のいわゆる自然主義(naturalisme)であった。ところが1880年代以降、それまでの思想を批判し「社会」を主題化するディスコースが様々に現れるようになる。これは当時の社会的・政治的危機を背景に、モラルの問題、集合的問題をとらえる「科学」を要請する知的雰囲気が一般化していたからだと言う。「社会学」の誕生は、特にタルド、ウォルム、デュルケムの三人によって担われるが、デュルケム学派の形成と制度化という要因によって、デュルケムが学者内部の認知闘争に勝利し、結果的に前者二人は忘れ去られ、「社会学」=「デュルケム学派」という図式が定着していくことになる。ちなみに続く第二部では、「社会学」誕生によって生物学・心理学・地理学等の既存の学問がいかなるディスコースの変容を蒙ったのかを取り扱っている。

 全体で500頁を超える本書は、質・量ともに今後19世紀後半のフランス人文科学史の「決定版」としての位置を占めることになるだろう。ただしここで注意したいのは、「パラダイム転換」という解釈図式を用いることの含意である。著者が明示している通り、「パラダイム」はクーンの用語に依拠したものである。19世紀末の社会的・政治的危機、新たな理論的「問題」の出現、「パラダイム転換」による解決、という解釈の図式、また学者内部の認知闘争に頁を割くという構成は、このことから理解できる。しかしクーンのパラダイム論が、パラダイムの移行そのものを必ずしも理論的発展ととらえないように、実はここでは、上記の社会的・政治的危機/理論的問題化/解決が、理論的に必然的な結びつきをもって説明される必要はない。ただ「当時の学者共同体がその結びつきをどうとらえたか」が説明されればよいことになる。そして実際に、著者はそういう説明を行っている。しかしそうであれば、「現代の我々」にとって「社会学」的ディスコースとは何であり、何でなかったのかを、理論的に反省化し「再解釈」するという課題は、相変わらず残されることになるだろう。

 

・Michael Kelly, Hegel in France(『フランスにおけるヘーゲル』), Birmingham Modern Languages Publications: Birmingham, 1992.

 戦後のフランス哲学は、ドイツ哲学の圧倒的影響の下に展開された(マルクス、ヘーゲル、ニーチェ、現象学、ハイデガー等々)。ところが19世紀から大戦前までのフランス思想において、どの程度ドイツ哲学の影響があったのかは、必ずしも明らかではない。とりわけカントの影響を受けてフランス独自の「新カント派」哲学が展開されたことに較べると、ヘーゲル哲学の影響は (V.クザンを除いて)一見極めて希薄であり、またこれをまともに取り上げた業績も、実はほとんどなかった。この本において筆者は、19世紀から現代に至るフランスのヘーゲル受容史を検討することによって、フランス哲学の変遷の一端を描き出している。息抜きに読み始めた本が、実は結構面白かった、というものの一つ。

 著者によれば、フランスのヘーゲル受容史は第二次大戦前後で画される。驚くべきことに、ヘーゲルの主要3著作(『精神現象学』『法哲学』『論理学』)の翻訳が完成するのは、1940年代に入ってからであった。さらにそれ以前の時期も、二つの時期に分けられる。第三共和制以前は、ヴィクトール・クザンをはじめ、サン・シモン主義者などによって歴史哲学の受容が行われ、ヘーゲル哲学の研究も活発に行われていた。1848年革命の際には、強力な革命理念としても働いたという。しかしプロシャの強大化と、普仏戦争、ドイツ統一という政治状況の中で、ヘーゲルはドイツ的なものを代表する哲学として、決定論・有機体的国家論・絶対主義の正当化といった解釈が付され、第三共和制成立以降は「長い沈黙」の時代に入る。ヘーゲルの「再生」は、戦間期、特に30年代以降のヒポリット、コジェーヴらの疎外論・実存主義的解釈を経ることによってであった。

 第二次大戦後のヘーゲルを巡る哲学的動きはよく知られており、著者のまとめを見る必要もないだろう。サルトル、ボーヴォワール、メルロ・ポンティ、ルフェーブル、ガロディ、アルチュセール、ジャック・ドントなど、極めて多くの思想家がヘーゲルの影響を受けて思想を展開している。

 本書に接した時、特に驚かされるのは次の二点である。一つは、19世紀フランスの言説空間と、20世紀のそれとの断絶である。仏独が相互に自律した言説空間を持っていた時期と、不可分に影響を与えあっている時期、歴史哲学の素朴な受容と、徹底した批判・解体の営みなど、様々な意味でそれは対照的であり、ほとんど連続した空間とは思えない。第二に、特に19世紀後半のヘーゲル解釈の、その他の時期と比較した「不毛さ」である。この「不毛さ」は一体何を意味しているのか。この時期思想が徹底して「政治化」していたということは、単なる思想の未成熟や、思想が政治に従属していたことを示すものではないだろう。それが示しているのは、何より第三共和制が「教授達の共和国」であったということ、つまりこの体制が確固とした政治集団ではなく、エリートの唱える思想的イデオロギーを支えとして成立する体制であったということであり、ヘーゲル解釈の不毛さは、その負の側面をも如実に示すものであるように思われる。

 

佐藤浩章(HIROAKI SATO)

北海道大学大学院教育学研究科博士課程(教育制度論・高校教育論)

TEL. : 011-716-2111 内線2601 

 e-mail : hiro@edu.hokudai.ac.jp

 

・堤清二・橋爪大三郎『選択・責任・連帯の教育改革』岩波ブックレットNo.471

 本著は、1997年7月に公表されて話題を呼んだ、財団法人・社会経済生産性本部の教育改革に関する中間報告書がもとになっている。周知のとおり、堤氏はセゾンコーポレーション会長、橋爪氏は社会学を専門とする東京工業大学教授であり、二人とも教育の専門家ではない。それだけに論の雑駁さは否めないが、教育学者にはない斬新さを感じさせる内容となっている。

 報告書は、現在「学校が『教育の場』としての機能を失っている」という認識から出発する。その根拠には、塾や予備校の繁栄、不登校の急増、学級崩壊現象の拡大、いじめや問題行動、援助交際、ナイフ事件などがあげられる。

 このように学校が教育機関としてうまく機能しない原因は、「連帯の欠如」である。教員間に「連帯」がない。児童・生徒の間に「連帯」がない。家庭や地域社会に「連帯」がない。ところが今の学校教育の制度は「連帯」を破壊するようにできている。

 「連帯」の回復をはかるには、それぞれがどのような役割分担をするかという「責任」の所在を明らかにすることが重要である。これまでは何の「責任」もとれない役人の集まりである文部省が教育改革を進めてきた。これからは、失敗の「責任」をとれる親、教師、学生が、自由に制度を「選択」し、教育を作り替えていく主体になる必要がある。「選択」することで、人々は「責任」を自覚する。学校は、宿命的な運命共同体から、互いに選びあった「連帯」の場に生まれ変わる。

 報告書では具体的な改革案を提示している。学区制の廃止、学校経営権を校長に委譲、成績の相対評価を絶対評価に変える、高校入学は原則として無試験にする、高校の学力認定のために統一の外部試験(「高等学校学力検定試験(高検)」)の導入、大学の学生定員を廃止して入試をなくすなどが提言されている。

 現在、日本の教育を巡っては、財界の主張する「自由化・市場化」、官僚の主張する「統制・画一化」、父母・教師・生徒が主張する「参加」の3つの原理が拮抗している。本著では、文部省主導の既存の「統制・画一化」原理が徹底して批判される。しかし本著で主張されているのは、単純な「自由化・市場化」原理でもないようである。「自由化・市場化」原理は、教育運動側から民主主義の原点である「参加」の視点が欠如しているという批判を受けているが、本著では教師、父母、生徒が「責任」をもって学校経営に「参加」していくことが想定されている。提言の中には、これまで教育運動側が主張してきたことと重なりあう部分もあり、十分議論するに値する内容となっている。ここ数年、日経連、経団連、経済同友会といった団体が、高度経済成長期以来守ってきた沈黙を破って相次いで、現在の画一化された教育状況を批判する報告書を出しているが、本著はこれらの理念を形作っていくものになると思われる。今後は、とりわけ彼らの主張する「選択」と「自己責任」が前提としている〈強い個人像〉の検討が必要になってくると思われる。

(尚、本著のもとになっている中間報告の全文は、http://www.valdes.titech.ac.jp/^hashizmに掲載されている。)

 

北海道大学大学院法学研究科修士課程(西洋政治史)

川嶋 周一(kswith@juris.hokudai.ac.jp
 
・スーザン・ストレンジ『国家の退場』 岩波書店

 私事であるが、私が政治学で大学院に進もうとしたとき、父からこのようなことをかつて言われたことがある。曰く、インターネットの発達や経済の国際化によって国の持つ意義は薄れている。重要なのは政治よりも経済だ。政治学をやるのもいいが、政治やら国の持つ重要性の低下に注意を払ってそれを自分のオリジナリティに結び付けろ、と。父は一介の技術系サラリーマンであり、政治学、経済学とは縁もゆかりも無い。しかし、このような政治より経済の価値の優越性は、一般的に広く共有されるものであろう。(もっとも、父が言いたかったことは、「普通の人」の間でそれが常識になっても、学会にはそれが必ずしも反映されず、現実を正しく反映した、自分独自の(多分彼が強調したかったのはここ)見解を持て、ということだったのだろう)

 ストレンジの理論(仮説)は、このようなイメージに基づいている。つまりストレンジは国家−市場間のパワーバランスが転換し、かつ、世界経済に対して従来独占していた国家の権威が他の非国家的アクターに流出していると主張する。そこで彼女はその理論的説明(なぜそのような変化が起こったのか)と、非国家的な世界経済のアクターとして6つの団体(多国籍企業[テレコム・保険会社]、マフィア、国際監査法人、国際カルテル、国際官僚機構)を検証する(誰が市場で権威を担っているのか)。

 理論的説明としてまずストレンジは3つの仮説を立てる。

・政治とは政治学や政府高官に限定されない、全般的な活動である。

・「結果に対するパワー」が市場によって行使されている。

・社会の権威、経済的取引に対する権威が国家以外の機関によっても正統に行使され、それに従う人々によって認知される

(*「結果に対するパワー」とは、パワーを定義する際、パワーをその資源から考えるのではなく、物事の結果に働きかけることができるパワー「いわゆる構造的パワー」、またナイの言う「ソフトパワー」のこと)

 これらの検証については本書を直接見てもらうしかない。ストレンジの主張するような国家−市場のパワーシフトの転換は、一見従来の政治学を脱構築するかのようであるが、しかし彼女の問題の出発点は、パワーとは何か、政治とは何か、なぜ国家は権威を持ちうるのか、といった、実は政治学の木本テーマに他ならない。無論ストレンジは国家中心の政治学(むしろ社会科学)から脱却することを試みる。しかし、果たして社会的権威が国家(政治と同義といって良い)の独占物で無くなったその変化は、ラディカルとはいえ、ファンダメンタルのものであるのだろうか? 国家が権威を喪失した先には何があるのか? ストレンジの描くオルタナティブは極めて不透明である。

 しかし、本書の訳題「国家の退場」は少々難があるのではないか。「退場」とはThe Retreatの訳である。Retreatには、軍隊が退却するという意味がある。おそらくストレンジは、敵の攻勢に後退を余儀なくされている軍隊―すなわち国家というイメージでThe Reteat of the Stateという題をつけたのではないだろうか。残念ながら「国家の退場」という日本語では、国家が表舞台から姿を消すイメージになってしまう。ストレンジはそう言っているのではないアとは明らかである。いずれにせよ、国家の後退は政治の後退ではない。より広い社会(ここで言う社会とは国家・市場を包含する全体構造の意)権威から見れば、政治学が消滅することは当分なさそうである。とはいえ最後に言えることは、ストレンジが強調する「権威」の内容が、実は明確ではないことである。もっとも根本的なものがもっとも定義しづらいのは、ひょっとすると社会科学の業なのかもしれない。   (了)

 

越 充則(地方公務員 koshi@rose.ocn.ne.jp

・ルソー『エミール』における反言語、或いは反論理的性格

 ルソーも『エミール』も思想史上重要な位置にあるにもかかわらず意外に読まれていないように思う。別にそれが不当だとは言うわけではなく、私自身の反省として書評を書いたつもりであるので、その点お許し願いたい。

 冒頭から触れられているいわゆる「自然主義」、或いは「消極教育」とは、子供自身の内的な人間陶冶力、自己教育力を指す「自然の教育」と、これに「事物の教育」「人間の教育」を加え、この3者のバランスの上に完全な教育が成り立つとしている。事物の教育とは、現実に事実としてあることを自ら直接経験すること、それを直接の教材とすることであり、人間の教育とは、自然と事物の教育が可能になる環境を人の手で作ること、である。本書の教育論はこれらを論じたものと言ってもいい。

 まず、自然の教育について。

 「観念より多くのことばを知っているというのは、考えられるより多くのことがしゃべれるというのは、ひじょうに大きな不都合である。」、そして逆に、そのような「子どもに理解できないことばや、何の役にもたたないことを覚えこまされたのち、人偽的に生じて情念によって天性が押し殺されたのち、…(中略)…肉体も精神も同じように虚弱」になるとする。つまり、子どもには理解できる観念が限られているのに、はっきりと捉えきれていない出来合い単語を覚え使うことにより、単なる記号の操作となり、言ってみれば心の働きを省略する癖を覚えてしまうようになり、子供の内的な人間陶冶、自己教育を妨げてしまうのである。わずかではあっても的確に捉えている言葉を工夫して使う訓練を重ねることに「自然の教育」を見ているのである。

 次に、事物の教育について。

 子どもが転んでもすぐ駆け寄ったりせず、起こってしまった災難(痛み)の必然性にたえる(受け容れる)ことを学ばなくてはならないこと、病気になっても安易に医者に頼らずその必然に耐えること、そして死さえもその延長上に捉えるべきだと言う。「ああ人間よ、きみの存在をきみの内部にとじこめるのだ。そうすればきみは不幸ではなくなるだろう。自然が万物の鎖のなかできみにあたえている地位にとどまるのだ。…(中略)…必然のきびしい掟に反抗してはならない。」仮借のない自然観といえよう。

 だが一方で、このように人間存在を運命の必然の軛のなかに固定させて考えると、やはりこれも、情緒、或いは内なる自然に対し容赦のない権力として働き、子どもの内的な発展も自己陶冶もないのではないかという疑問があるだろう。それに関してルソーは、「(子どもは)理性の時期がくるまでは、道徳的存在とか、社会関係とかいう観念はけっしてもつことはできない」のであるから、「感覚的な事物にだけ刺激されているあいだは、子どものすべての観念が感覚にだけとどまるようにする」べきだとしている。、事物は感覚、感性として数えられている。要するに、人間が社会生活をする上で必要なことのうち「理性」を大人特有のものと位置づけ、子どもはそれ以外のことを学ぶ。それ以外とは、ここでは現実にある事物と自身の情緒である。

 このような環境が整えられることが、人間の教育である。

 ここまでくると、ルソーの主たる問いがはっきりしてくる。ルソーにとって、子どもの感覚、感性といったものは非常に重要であり、教育の基本となる。そして、それに対置されているのが、感覚、感性を省略したシンボル操作としてのことば、或いは論理(大人の論理)であり、子どもにとって大きなマイナスとなっている。

 言語自体が西洋哲学史、思想史上本格的に研究され、その限界が語られだしたのは最近のことである。子どもという限定された範囲ではあるが、ここにその萌芽を見ることはできないだろうか。

 そして、このような警鐘がありながら、教育は一貫していわば論理化が進められてきた。エミールはユートピアだろう。しかし、ことばと論理に埋め尽くされた今の教育事情、大人の論理のなかで、忘れかけている「原点」に我々を振り返らせるものでもある。少なくともその限りにおいて、現代のおけるルソーの功績を見ることができるのではないだろうか。

 

1999年2月分

 

岡崎晴輝 国際基督教大学大学院行政学研究科博士後期課程 政治理論 g979024@yamata.icu.ac.jp

・内田義彦『読書と社会科学』(岩波書店、1985年)。

 内田の『読書と社会科学』は岩波新書の一冊であり、すでに読んだ人もいるかもしれない。ここでは、冒頭の「「読むこと」と「聴くこと」と」を中心に紹介したい。ここで内田は、読書と読書会がいかに難しいものなのか、そしていかに楽しくなり得るものなのか、実に生き生きとした口調で語っているのである。

 まず「読書」について。「情報」としてではなく「古典」として読むとは、どういうことだろうか。「新奇な情報は得られなくても、古くから知っていたはずのことがにわかに新鮮な風景として身を囲み、せまってくる、というような「読み」」(13頁)。「古典としての読み」では、第一に、「本当はこうだったんだなあ」というように、「一読明快」ではない。「読み手である自分の成長とともに違ってくる」(21頁)。第二に、どう読むかで読みが違ってくる。ぼやっとしていては読めない。第三に、理解が一義的ではなく、人によって違ってくる。しかも、丁寧に読めば読むほど、違ってくる。こうした読みを可能にする「勘どころ」として、内田は、三つのことを指摘している。第一に「信じて疑え」。「自分への信」と「著者への信」があってはじめて、深く読むことの苦労を払うことができる。第二に「みだりに感想文を書くな」。「読み手としては、どこまで書きにくく読むか──書きにくいところを書きにくいまま受取ること──が勝負であります。他方書き手としては、読み手である自分が書きにくく受けとってきたその感想を、如何に明確に書きとめてみせるかが勝負といっていい」(60頁)。そして第三に「確信にあぐらをかくな」。

 次に「読書会」について。内田によれば、読書会運営の鍵は「話し上手」ではなく「聴き上手」になることにあるという。そして、つまらない面を発見する「低級な批判力」ではなく、俗眼に見えない宝を発見する「高級な批判力」を発揮することにあるという。「考えてみると幼稚園の先生なんかは旨かったですね。難点をではなくていいところを見出してくれる。お世辞でほめるのではない。本人にも気がつかない宝を宝として見出す力をもっているんです。そこがプロで、その指摘によって、その素性は現実に開花してくる。教育なるかなと思います。あれに比べると、我々はじつにヘッポコ教師で、駄目なところだけを発見して、口ごもりの中にひそんでいる個性的な宝を発見するのが下手だ。我々自身、「学問」に眼がおおわれていて、それで、主観的には好意からなんだろうけれども、教育熱心からつい平均的認識の鋳型にはめてしまう。あるいは傑すぎる先生には、えてしてそういうことがおこる」(75頁)。──『読書と社会科学』は、何度読んでも「本当はこうだったんだなあ」と思わずにはいられない「私の古典」である。これからも、繰り返し立ち返りたい。

 

北海道大学大学院法学研究科博士課程(フランス政治思想史)

田中拓道 takujit@juris.hokudai.ac.jp

・Pierre Rosanvallon, La crise de l'Etat-providence, (ピエール・ロサンヴァロン『福祉国家の危機』)Paris: Editions du Seuil, 1981.

 70年代以降の政治社会理論は、ロールズ以降のいわゆる「政治哲学の復権」にせよ、制度論、権力論、さらには近年の市民社会論にせよ、何らかの形で「福祉国家」を巡る現実の政治状況に関わりを持ちつつ展開されている。逆に言えば、「福祉国家」をどうとらえるかが、その論者の立場や理論の深みを示す指標となっている、と言うことができる。

 近年のフランスの福祉国家論の特徴は、フーコーの影響を受けたFrancois Ewald, L'Etat providence, Bernard Grasset, 1986, に典型的に見られるように、福祉国家を単なる国家の一形態ととらえず、それを社会に浸透し個人を管理・規律する権力の総体として哲学的にとらえている点にある。このような理論状況の中で、現代フランスの政治社会理論をリードする一人であるロサンヴァロンは、その福祉国家論を通じて、どの程度の理論レベルと射程の広がりを示しているのだろうか。

 ロサンヴァロンによれば、「福祉国家の危機」は、そもそも近代国家の論理に芽を持っている。すなわち近代国家は、市場において見出せる「個人」、この個人の財産・保護を目的とする「保護国家」のセットとして生まれた。ところが市場モデルが影響力を失い、「平等」や「保険によるリスクからの解放」といった「社会的」概念がそれに取って代わり、ケインズ的な妥協が生まれるに至って、「保護国家」は「福祉国家」へとつながっていった、という。しかし国家活動の止めどない膨脹に伴って、上記の「平等」「機械的連帯」「ケインズ的妥協」の概念は、現在多くの疑念にさらされている。

 一方近代自由主義もまた、最小国家による個人の「安全・保障」という理念、市場における自己規制という理念のセットにおいて成立するものであった。彼はこの論理をアダム・スミス、ベンサム、バーク、フンボルトについて追い、特に前者の理念が福祉国家の論理の招聘を防げなかったことを示そうとする。さらに、現代のノーズィック、ロールズの自由(尊重)主義については、彼らの議論に個人の自由を支える「社会的紐帯」が不在であることを明らかにしようとする。

 こうして、国家・私的自由の二項対立は、いずれも問題を解決に導かないことが明らかされる。彼が対置するのは、「社会」に実質的な「連帯」を呼び起こし、国家と社会の新たな関係を形成することである。具体的には、組合を通じた労働運動や自主管理、新しい社会運動、分権化などが挙げられる。

 さて以上のように見た場合、近代国家・自由主義に関する〈遡及的〉位置づけの目新しさを除けば、全体の枠組みはきわめて単純なものである。もちろんこの本が1981年に出版されたことを考慮に入れるとしても、その後のハーバマスやコーエンの市民社会論と較べると、全体の議論がやや粗雑との印象は否めない。ここでは二つの疑問点を挙げておきたい。第一に、近代の「保護国家」と「福祉国家」を連続的にとらえる場合、それを媒介する「社会」という概念をどうとらえ、ロサンヴァロンのいう「連帯」との違いをどう説明するか、という問題である。第二に、近代自由主義が「保険としての社会」概念を媒介して「自由」概念の拡大をもたらしたのに対し、現代自由主義が「社会」の概念を括弧に付すことで「自由」の意味を問い直そうとしていることの意味や対照が、彼には過小評価されているのではないか、という点である。

 

北海道大学大学院法学研究科修士課程(行政学)

雪に埋もれた象牙の塔の狂人(ペンネーム)kosuke@juris.hokudai.ac.jp

・佐藤郁哉『フイールドワーク』新曜社1854円

・佐藤郁哉「調べかつ書く作業を通して果たす挙証責任」AERAMOOK『社会学がわかる』朝日新聞社P62

 近年、行政法や行政学の分野では実務の現場に直接赴き、取材する研究スタイルが流行っている。現場に赴くことで、書の上では知ることが出来ない話に知的好奇心をかき立てられると同時に、理論と実務の乖離を知ることができる。

 そして世間ではこれをも実証研究と呼ぶ。勿論、私自身、学部時代かような面白さを経験してきた人間であるし、実務の現状や苦悩を認識し共有しあえる事が重要であると常々考えている。

 しかし「現場で話を聞くことが面白い、重要である」と言うことと、「学問的、科学的な研究ベースに乗ったおもしろさ」というものは別の次元として考える必要性があるのではないかとつくづく考えている。

 勿論、両者が重なることがベストなのだろうが、少なくとも政治学・行政学の研究者を志すものは前者のような「床屋政談」的なおもしろではなく、後者のような「科学的な政治学」を追求する上で、その手段としてフイールドワークを位置づける必要性があると思われる。

 つまり「明確な分析枠組みがない実証研究が果たしてどこまで実証研究足り得るのか」ということである。本書は、評者のかような苦悩に光明を与えてくれた貴重な本である。

 著者は、日本でフイールドワークを語ることは非常に不幸なことだとする。教えてくれる大学もなければまともな解説書もない。従って、出来上がった報告書の内容の妥当性を、類似の研究と突き合わせることもできないと述べる。

 本書は題名が示す如く、サーベイ(定量的調査)ではなく、定性的調査を中心に論じている。しかし、マニュアル本ではなく、何故当該問題に関してフイールドワークという方法を用いるのか、その思想や哲学について解説したものである。

 そして、「単に現場で体験取材やインタビューをしたりデータを集めるだけではなく、それを基にどの様に書くか」が重要であるとし、我が国に置いてはこの単純な事実が忘れられがちであると指摘する。筆者は以下のよう続ける。「観察すること=見ることなら、極論すれば誰だって出来る。」「最終的にまとめられた報告書が読むに耐えうるものであり、また同時に学術的な資料として意味あるものなのか。」

 著者が、この本を書く過程で到達したのは以下のような結論であった。「なまの体験はあくまでそれだけしかなく、そこから何を汲み取り、何を理論的な枠組みに乗せて、まとめ上げることができるのかが、それが学問的なフイールドワークを行うものの勝負なのです。」 以上

 

雪に埋もれた象牙の塔で朽ち果ててく狂人(ペンネーム)

・国民文化会議編「転換期の焦点5 丸山真男と市民社会」世織書房(97/8)

 本書は、現代最も注目されている市民社会論を素材に、彼の仕事を振り返るものである。丸山の直弟子である石田雄が報告をし、カン・サン・ジュンが討論を盛り上げる。

 石田は「丸山が何故、市民社会概念を用いなかったのか」という問題に対して、丸山の仕事を3つの系列に分類し紹介しながら説明する。

 石田の解釈によると、丸山は市民社会における大衆社会状況の問題性を強く認識しており、故に市民社会当該概念を用いなかった。そして、大衆社会状況を克服するには「ラデイカルな精神的貴族主義がラデイカルな民主主義と強く結びつくことが必要」と考えており、両者が機能する場面として、彼は主権的国民国家を設定していたとする。そこで石田は「丸山における国民国家の位置づけ」という最大のテーマに切り込む。つまり、カンサンジュンが指摘する「丸山は近代国民国家の形成とは異質なものを排除・同化する過程であること、つまりエスニシテイーとジェンダーの不可視化の問題を見落としている。」との問題である。この問題に対し、石田は自ら丸山に好意的に解釈する危険性を認めつつも、丸山の「他者感覚の強調」ー他者を内在的に理解するという手法を通して、この問題を克服しようと試みる。つまり石田は、後期の丸山が、初期の作品で記した「普遍史的な発展段階論」ー自らの他者感覚のなさーを自己批判していることを指摘することで、丸山は国民国家の問題性を認識していたと理解したいようである。

 丸山が排した市民社会概念は、他者は総て等質横並びの者と考えられがちだが、現実には自己と他者の関係は常に権力状況の中で非対称的な状況にある。 故に我々の残された課題は、人権を侵された人々の対話をし彼らの人権を回復することを通して、丸山という思想家との対話を今日的状況のなかで意味あるものするべきだ、と結論づける。

 本書はブックレットという体裁を採っているが、その体裁を越える内容を有するものであり、読者は心して読まねばならない。しかし直接丸山の作品と格闘するよりは、はるかに丸山の世界を知り、解釈する端緒、道標(あくまで一つの道標)となることも確かである。また90年代政治学の一大テーマである「市民社会論」を切り口に丸山を読み解こうとするのも魅力的である。「丸山におけるの国民国家」は大問題であり、石田の如く好意的解釈と、丸山の本質的な限界と採る者の両方がいるのは当然のことである。しかし現実世界との接点を持たせた上で、この問題を論ずる者は案外少ないように思える。つまり丸山をアカデミズムの俎上だけで捉え、いま社会が抱える様々な問題(学校、企業、宗教)を踏まえつつ解釈する者は少ないのではないか。この意味でリアリテイーのある丸山批判をしている者がカン・サン・ジュンしか居ないことは、誠に残念なことである。

 他方、カンサンジュンの批判に対して、石田の丸山解釈がなんとか耐えうるものであることも事実である。それは石田が思想史解釈の基本的な作業に忠実だからであろう。それは、研究対象との物理的精神的距離の置き方に注意し、イメージで議論するのではなく、彼の言葉に即し、彼の論理に従って丸山論を展開しているということである。とにかく本書は、丸山・思想史・市民社会・国民国家と多様な問題関心から格闘し味わうことのできる書物なのである。

 

1999年3月分

雪に埋もれた象牙の塔で朽ち果ててく狂人(ペンネーム)kosuke@juris.hokudai.ac.jp

・森岡清志編「ガイドブック社会調査」日本評論社(98/2)

 前回、フイールドワークという定性的調査についての概説書を紹介したので、今回は統計調査を主とする定量的調査について概説書を紹介したい。本書は10名の執筆者により構成される教科書である。複数の執筆者によるテキストの割には、記述や説明の仕方にばらつきが少ない。やや気になったのは、仮説を設定することなく統計調査を行う手法について、第4章では第3章よりも否定的な見解を示していること位である。

 第1章から3章までが社会調査の意義、取り巻く現状、その前提条件について記されており、第4章が社会調査にあたる際の心構えを述べ、第5章から10章までが具体的な手法に説明を割いている。しかし本テキストの意義はやはり、第2章と3章に凝縮されているだろう。特に第2章は社会調査に留まらず、学生が研究を行ううえでの考え方、作業工程等、方法論についてあますところ無く記している。また方法論を身につける上で有用と思われる参考書を解説を付して多数列挙してもいる。第3章では科学的な研究調査とはどの様な構造を有するものなのか。科学的な研究を行う上で、社会調査は何を明らかにするのかについて分かりやすく説明している。故に社会調査に興味が無くとも、研究を志す者は、当該2つの章だけは必ず目に通しておくべきだろう。

 つまり、本テキストで一貫して説いているのは、社会調査において必要なのは「調査をすることで、どういう人達(対象)の、何を明らかにしたい(問題関心)のか」「なぜ、そのような実態になっているのかについて仮説を立てて明らかにすること。その為に独立変数と従属変数はどの様に設定されるのか」ということである。この点において、前回紹介した「フイールドワーク」とその哲学は同じ書物なのである。

 以上

 

・草野 厚「政策過程分析入門」東京大学出版会1997年

 筆者は慶應義塾大学総合政策学部教授で、戦後日米関係における事例研究で手堅い評価を受けている研究者である。一般には「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系)や「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京系)等のコメンテータとして紹介した方がお馴染みかもしれない。

 本書は、日米間の政府交渉や個々の法案の政策過程等を研究内容とする事例研究について、初心者を対象にその手法を説明した初めての入門書である。勿論、この分野について説明した書物として、従来までも大嶽秀夫「政策過程」や雑誌「リバイアサン」等が存在したのだが、内容が専門的学術的で暗黙の前提として記された政治学的言説も多く、読み解くのに困難な代物であった。

 勿論、現代日本政治を一般性、法則性を導くことを目指す様な科学的な研究ベースに乗せ、他国との比較可能な俎上に乗せる分野に導いたのは、大嶽や彼を発起人とする雑誌リバイアサンのグループであることは間違いなく、我が国の政治学のソサイエテイーに確固たる一分野を築いたことにおいては、彼らの存在は高く評価できる。しかし、それはあくまで研究論文の世界の話であって、学部大学院における政治学教育の世界で着目すべき活動はほとんど無かったように思われる。それはまさに専門的学術的な書物しかなかったということであり、この意味で当該分野は参入規制が強く、容易に近づける領域ではなかったと思われる。故に「リバイアサングループは仲間内でやっている学問であり、現代政治分析も同様である」という見方も政治学ソサイエテイーの中で強い。

 そういえば以前、評者がある研究者に「日本において、事例研究の手法や政治分析における分析枠組みの設定手法について明確に講義している大学及び大学院はあるのかを」を問うたところ、「強いて挙げれば慶応の藤沢ではやっているようだけど、基本的にそんな大学はないし、日本で今現代政治分析を行っている研究者は、基本的にアメリカに留学して身につけている。だから僕はアメリカに留学しなさいと言うんだよ。」との返事が返ってきたことも、先の事情と重ね合わせて思い出される。

 この様な背景を踏まえると、今回、当該分野に初心者を導くような本書が刊行されたことは、現代政治分析の研究分野をより開放的にするということでもあり、その意味でも大変有意義のあることだと思われる。

 さて、本書の内容について説明しておこう。本書は第2章で政策過程分析と歴史分析の手法を述べ、第3章で当該研究を行う際しての準備作業とそのコツを述べている。そして第4章以下では、分析の際に用いられたモデルを紹介し、実際にそのモデルで分析した先行業績や学生によるレポートを紹介している。 本書は以下の点で特徴的な教科書である。まず第1に、文体が講義口調でかみ砕いて説明してくれるため、理解するのに躓くことがないことである。しかし、筆者の説明が曖昧さが感じられ必ずしも納得できない箇所もいくつかある。故に筆者が引用している文献を直接参照しないことには、本書で紹介しているモデルを実際に自らの研究で用いるのは難しい。

 第2は実際の学生が取り組んだレポートを例示することで、モデルや仮説を事例に応用することの難しさ、注意すべき点を指摘していることである。

 最後に、この本で最も有益な点を指摘するならば、巻末の参考文献一覧表に工夫を凝らしている点ではないだろうか。なぜなら現代政治分析を学ぶに際しての参考書を、A分析枠組みを考える上での参考書、B枠組みを意識した実証研究書、C分析枠組みは意識されていないが優れた実証研究書、という具合にAからEまでの5段階に分けて紹介されているからである。個人的には、この一覧だけでもコピーをとって、研究ノートに挟んでおくことを勧めたい。

 なお、本書については「季刊行政管理研究(1998.3)」においても書評が展開されているので併せて参照されたい。 以上

 

1999年4月分

田中拓道(北海道大学大学院法学研究科博士課程、フランス政治思想史、takjit@juris.hokudai.ac.jp

・Michel Borgetto, La device <<Liberte, Egalite,Fraternite>>(M. ボルジェト『「自由・平等・友愛」という標語』), Presses Universitaires de France, 1997.

 一般にフランス革命のスローガンと言われる「自由・平等・友愛」が、実は革命期のスローガンではなく、かなり後になって定着したものであることは、すでにM.DavidやM.Ozoufの研究によって明らかにされている。ボルジェトはこれらの先行業績を吸収しつつ、特に「友愛」概念史の決定版とも言える本を近年出版したことで知られる気鋭の公法学者である。本書では、革命期以降の上記のトリアーデの形成過程をまとめることで、いわば「共和国」を支える論理の変遷をうまく整理して見せてくれる。

 革命期に見られたのは、祖国・平和・徳・法・力・統一など、様々な標語の噴出だった。さらに王政復古期には、共和派の論理は「秩序」に反するものとして忌避された。3つの標語が再び現れるのは、1830年代以降であり、さらにその確立は、1848年第二共和制期を待たなければならなかった。この時期「友愛」は、共和主義の理念というだけでなく、特に社会主義や「労働権」と結びついたものとして用いられる。第三共和制期に入ると、「友愛」というイデオロギー性を帯びた概念に代わり、「連帯」という「科学的」で「社会的」な概念が広く用いられるようになる。「連帯」は、社会保険とも結びつき、社会主義・自由主義の対立を超えて共和主義的理念として受容される。こうして第三共和制を通じて、共和国のスローガンが確立し、制度化されていくことになるのである。

 ここに示される標語の変遷には、Nation・コスモポリタニズム・平等・差異・労働・教育・統計・科学など、19世紀の中心的な問題を巡ってフランスで展開された思想的な格闘の跡が、鮮明に現れている。

 

越充則(地方公務員) e-mail ; koshi@rose.ocn.ne.jp

・中西準子『水の環境戦略』岩波新書

日本の場合、水質の汚染は、明治期の足尾鉱毒事件にはじまる環境問題のいわば古典であり、現在世界的には、汚染はもちろんのこと水自体の枯渇が深刻化している。日本では当面する最重要課題ではないにしても、水の汚染と枯渇は深刻な問題である。

本書はやや挑戦的なタイトルであるが、内容はそうした印象とは異なる。その基調は、「循環するシステムとしての水」と云える。水は近くから取り近くへ返す、という小規模開発の可能性を探ったものである。以下、論点をいくつか拾ってみる。

まず、どのような開発をするにしろ、安全な水の供給を得られるというのが前提であり、水に対する安全性の要求が高いのは云うまでもない。日本の場合、水道水は塩素を使った殺菌消毒をしており、これによりとりあえず安全性の高い水の供給を受けることが可能となっているが、この過程でトリハロメタンなど塩素系の有害物質が生成することも知られている。オゾン・活性炭処理方式なら生成量は抑えられるがこれもゼロではない。かといって殺菌をやめたら多くの地域で飲用自体ができなくなる。要するに、現状では完璧は不可能である。

次に、そこで可能な限りきれいな水を使うための最も確実な方法は、きれいな水源を確保することである。しかし、このためには大規模なダム開発を要する。当然自然に対する負荷、或いは人間自身への負荷が大きくなる。やはり完璧にはならない。

3つ目に、これに関連して、大掛りな公共下水道に対する批判。河川の汚染を防ぐため、或いは汚染された水を使わないようにするため、汚水を大規模下水道処理施設に集め海にまとめて棄てるといういわば水の使い捨ては、確かに水の安全性を追求していけば自然に行きつく結論である。しかしこの方法は、やはり大規模なダム開発による環境への過大な負荷、特に生活環境に近い河川の渇水(水量の減少は、減少自体が生物の生息環境の悪化であるとともに水質そのものの悪化を招くと思われる)、大規模施設とそれに伴う下水道の総延長の建設と維持管理コストなどマイナスも多い。

ここで著者が提示するのは、人間自身と自然の危険を回避するために、人間もある程度の危険、或いは負担を負うのは避けられないことを前提とし、どの危険、どういう負担をどれだけ負い得る(負わなければならない)のかを考えるいわば危険の比較衡量論である。我々は、危険の最小値を確定しその危険には曝されなければならない。その確定作業をするのが科学であるという。その結果、規模に応じて公共下水道、集落下水道、個人下水道(合併浄化槽)を使い分け排水はできるだけ近くに返し、その水を何回も使う(取水も近くからする)「水の小規模開発」という結論に至る。

以上が本書の概観である。個人的には今まで比較的良質の水道水の供給を受けてきたこともあり、「水は洗って何度も使え」と言われても即答はできない。しかし、人間が生活していくこと自体が自然環境に対して相当量の危険を与えており、最近になってその危険の人間へのバックがかなり大きい、或いはほぼそっくりバックされているということに多くの人が気づきはじめた。その意味で、自然と人間を相対化しトータルで考えた危険の最小化という視点に共感できる部分もまた多い。そして何より、自然だけに危険を負わせるのではなく、人間も自ら進んで危険を負うべきだという点に注目すべきだろう。

 

1999年5月分

 

福田 宏 (北海道大法学部博士課程、ヨーロッパ政治史、国民形成過程における体操運動) hfukuda@juris.hokudai.ac.jp

・ヤコブ・ラズ著、高井宏子訳『ヤクザの文化人類学 --- ウラから見た日本』岩波書店、1996年

半ば好奇心で読み始めた本書であったが、あまりのおもしろさに最後まで一気に読んでしまった。著者は1986年から5年間にわたってヤクザ世界のフィールドワークを行ったイスラエルの文化人類学者であり、日本社会の「闇」に位置する周縁文化を本書において鮮やかに捉えている。

ここでの第一のポイントは、単なる社会のはみ出し者としてではなく、日本社会を裏側から映し出す鏡としてヤクザが存在する、という点であろう。そもそも、個人、あるいは集団にとっての他者は、自己のアイデンティティーを確保するうえで重要な役割を果たす存在である。個人や集団の中に最初から出来上がった「人格」があるわけではなく、他者との関係において「自分」というものが発見され、構築されていくことを考えれば、まさに他者イメージの中に自己の姿が投影されていると言うことも可能であろう。そのように考えれば、周縁的な存在であるヤクザこそが日本社会における「他者的自我を表象」しているという著者の指摘にも納得がいく。

第二のポイントは、ヤクザ自身の中に自らを「規範的存在」として位置づけようとする極めて強い欲求が働いている、という点である。もちろん、彼らの多くは社会を「ドロップアウトした」人々であり、そのことを誇りにし、時にはそれを公然と主張することもある。だが、その一方では、義理人情や武士道、仁侠といった「純日本的」な伝統と規範を重んじ、国粋主義的な活動に関わるなど、「日本人である」ことにもこだわり続けている。被差別部落の出身者や在日韓国/朝鮮人のメンバーが相対的に多いにもかかわらず、ヤクザの活動において右翼運動が重要な意味を持ってくるのは決して偶然ではない。彼らは、周縁的存在であるからこそ、明快な拠り所を与えてくれる愛国主義に惹かれていくのである。

本書については、研究対象との距離が十分にとれていない、という批判も可能であろう。実際、本書の記述の中には、日本社会が創りだし、ヤクザ自身が再生産しているロマンティックな「極道イメージ」に捕らわれてしまったと思われる箇所がいくつか見いだされる。しかしながら、ヤクザという特殊な集団の中に入り込んでフィールドワークを行い、新しいタイプの日本論を著したという点にまずは敬意を表すべきであろう。そして、同じように外国研究に取り組む者 --- 評者の研究対象はチェコ --- として、ここまで深く「他者」を観察できる著者に対して感嘆の念を抱いたことも率直に告白しておかねばならない。

 

1999年6月分

 

田中拓道(北海道大学大学院法学研究科博士課程、フランス政治思想史、takjit@juris.hokudai.ac.jp

・Pierre Rosanvallon, Le moment Guizot(ピエール・ロザンヴァロン『ギゾーの時代』), Paris: Gallimard, 1985.

 これまでの19世紀フランス政治思想史研究は、啓蒙主義の延長、民主主義の確立(第三共和制)、社会主義の展開、といった視点による考察が主であった。ロザンヴァロンはこれに対し、1814年から48年に至る時期の思想が単なる過渡期ではなく、最も豊かな「政治思想の宝庫」であったことを示そうとする。

 この世代の思想的課題は、革命の成果を引き継ぎつつ、市場モデルとも階層的有機体モデルとも異なる「新しい社会」モデルを見出し、自由主義と民主主義、政治権力と社会との関係を、社会学的視点から再定義することにあった。そこで導入される理論装置が、歴史的進歩の概念、理性に基づく主権という概念、能力のヒエラルヒーに立脚する市民の創出、である。このような理論の土俵は、二月革命の挫折にもかかわらず実質的に第三共和制の父祖(J. Ferry, Gambetta, J. Simon, E. Littre)へと引き継がれ、1890年代の階級対立に基づく政党政治の確立期に至るまで、19世紀フランス政治思想を規定していた、という。

 本書の難点を挙げるとすれば、現実のブルジョア階級とギゾーとの関係、1848年以降のギゾーの扱いといった点で、筆者自身のギゾーに対する戸惑いが見られ、特に後半部に冗長な記述が多くなることである。これは政治史と政治哲学を区分せず、同時代の「政治文化」を明らかにする、といった筆者の方法論が必ずしも全体に一貫せず、思想史方法論自体に揺れがあることに由来しているように思われる。にもかかわらず、同時代の膨大な資料を扱い、その問題構成の配置と独自性をほぼ初めて網羅的に明らかにしたという点で、本書が19世紀前半のフランス政治思想史研究を画した、第一級の研究書であるということに違いはない。

 

福田 宏 (北海道大法学部博士課程、国民形成過程における体操運動) hfukuda@juris.hokudai.ac.jp

・Jiri Rak. Byvali Cechove: Ceske historicke myty a streotypy. Praha, 1994. (イジー・ラク. 『チェコ人がいた --- チェコの歴史的神話とステレオタイプ』).

 常に楽観的姿勢を崩さないホブズボームは、ナショナリズムをめぐる議論が活発化した最近の傾向を夕闇の中で飛び回るミネルヴァのふくろうに例えている。彼によれば、ナショナリズムに対する関心が高まっているということは、逆にナショナリズムそれ自体の衰退が始まっている証拠であるらしい。

 その真偽はともかく、今のナショナリズム論には歴史学に対する懐疑、もっと具体的に言えば「脱国民史観」とでもいうべき要素が強くなってきている点は確かなように思われる。

 ネイションという新しい共同体が近代に成立した時、それまでの「古いもの」、すなわち、伝統、宗教、神話といったものがすべて放棄されたわけではなかった。むしろ、新しく登場した集団のアイデンティティーを確保するために、ネイション固有の伝統が「創造」され、利用されたのである。極めて理念的な共同体として「想像された」フランスにおいてすら、「フランス的なるもの」が追究され、フランス人の一体感を生み出す道具として使われていく。この時、ネイションの拠り所となる過去が脚光を浴び、ネイションに属するすべてのメンバーが学ぶべきものとして、ナショナル・ヒストリーが注目されるのだ。つまり、近代の歴史学とネイションの誕生は表裏一体を成すものであり、ネイションの起源についての議論を始めれば、当然、歴史学の起源にも関心が生じることになる。最近のナショナリズム論において従来の国民史に対する懐疑が見られるのは、当たり前といえば当たり前のことなのである。

  その点はチェコにおいても同様である。ここで紹介するラクは、まだ社会主義政権が健在であった80年代より頭角を現してきた歴史家の一人であり、本書においてチェコ人が持っている歴史イメージを掘り崩す作業を行っている。といっても、それは単なる暴露本ではない。彼は、チェコ人の間で流布している「常識」が成立する過程を丹念に見ていくことによって、伝統や神話、シンボルといったものがナショナリズムの普及において如何に機能してきたのかを明らかにしている。

 一つだけ例を挙げておくことにしよう。日本人にもお馴染みの宗教改革者ヤン・フスは、チェコ人にとって最も重要なナショナル・シンボルである。だが、1415年に宗教的異端として火刑にされた彼がナショナルな存在として捉えられるようになったのはチェコ・ネイションという意識が確立しつつあった19世紀半ばの話であった。その時には、宗教的な文脈は消え去り、フスとその信奉者の戦いは、ドイツ人に対するチェコ人の解放を求める戦いと解釈されていたのである。そうでなければ、統計的にはカトリック信者が大多数であるチェコ人の間で、「反カトリック的」であったはずのヤン・フスが何故あれほどもてはやされたのかは説明できまい。

 本書の考察を読んですぐに思い出したのは、多木浩二氏の『天皇の肖像』(岩波新書. 1988年)であった。氏は本書において明治初期における天皇の肖像画や写真の利用について考察し、神格化された天皇のイメージがどのようにして国民の間に定着していったのかを明らかにしたが、その「ノリ」に通ずるものを本書にも感じたのである。今後も、このようなすぐれた「脱国民史」を随時紹介していきたいと考えているが、ここ数年の間、留学していたこともあり、評者の専門であるチェコ史学以外の動きには正直言って追いついていないのが実状である。日本史や他国の歴史学における「脱国民史的」文献について他の方々からの示唆を頂ければ幸いである。